先日、お友だちでもあるライフコーチのAkikoさんとインスタグラムでコラボライブをしました。
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初コラボライブ!ということで、かなり緊張しておりましたが、始まったとたんに肝が据わり意外と普通にお話しすることができ、ほっと胸をなでおろしました。
今日は「魅力」についてもうちょっと考えてみたいと思います。
私は瞑想が好きで朝や夜に瞑想をします。
コラボ当日の朝はザワザワする気持ちを落ち着かせようと目を閉じました。「魅力ってなんだろう?自分なりの考えがまとまらないなぁ」って思っていて落ち着かなかったんです。
すると満開の桜の木が見えました。
それはそれは堂々とした美しい桜の木でした。
「魅力ってこれかもしれない」と思った瞬間、それまでザワザワしていた心が静まり、すごく腑に落ちる感覚がありました。
魅力が生まれる瞬間
そもそも私は自分の魅力が何なのか分かりません。
自分が好きなものや得意なことは分かるけれど、それが魅力かといわれると違います。
そこで、魅力というのは、見る人・認める人がいてはじめて生まれるものであることに気づきました。
日本人は桜が好きです。
でも、世界中の誰もが桜に魅力を感じるかと言うと、答えはNO。
デンマークのコペンハーゲンには桜並木があって、春には「桜フェスティバル」が行われたりします。でも、それは日本の文化を輸入したもので、一般的なデンマーク人は桜を見ても格別な思い入れはありません。
平安時代の美女と現代の美女の定義が違うように、やっぱり、魅力は社会的・文化的な影響からは免れられないという気がします。
さらに、感受性というのは十人十色。
「桜っていいよね」とひとことに言っても、見る人によって感じ方は違うので、厳密には魅力って見る人の数だけあるということになると思うのです。
そこまで考えて思ったのは、魅力って自分ではコントロールできないものということ。
"unfolding"がいい
では、コントロールできない魅力とどう付き合っていくべきか?
他人が見出してくれた魅力、、、「こんなところが素敵だよね」「こんなところがいいよね」という評価をもらったら、それはありがたく素直に受け取りたいと思います。
でも、その魅力に自分をあてはめようとするのは違うように思うのです。他人に合わせるうちに自分の軸はブレ、逆に自分らしさが失われていく気がします。
居心地の悪い自分でいては魅力は生まれないはず。
もっと言うと、魅力というのは他人を喜ばせるためのものではないはず。
魅力って、まさに桜のように内側から溢れてくるような、その人の持ち味ではないでしょうか?だから、私はただ私として存在していればいいと思いたい。
ライブでは「一生懸命」という言葉を使ったけれど、実は「一生懸命」という言葉はあまり好きじゃないんです。よい言葉が出てこなくて使ってしまったのですが、、、今思うと「存分に」という言葉を使いたかったのだと思います。
私を存分に生きる。
英語の "unfolding" という言葉が好きです。
「展開」という意味ですが、花の蕾がだんだんと開いていくような、りきんだところがなくてとても自然な響きが大好きです。
自分を存分に生きるって別に特別なことじゃなくて、自分と向き合って、自分をよく知り、どんなふうに命の時間を使っていくかを考えることじゃないかなと思うのです。自分の魂の成長を喜びに変えていくような。そうするうちに、人生は勝手に展開していくのではないかなと思ったりするのです。
そのぐらい肩の力を抜いて生きられたらいいなと思うし、そんな生き方が私には魅力的に思えます。そして、そんなふうに生きようとする私を見て、だれかが魅力的だと思ってくれたら、それはとっても嬉しいこと。
「魅力」のひと言でずいぶんいろいろ考えちゃいました。(笑)
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